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2011年5月20日 (金)

「ネットワークで作る放射能汚染地図」

タクシーに乗ると、ノリを見て運転手と何かしらの会話をするのが常。先日乗ったタクシーの老運転手からは、アサホコやらオンスロートやらの馬名が飛び出してきて、なかなか驚いた。

だがそんな昔の競馬話を導入に福島競馬の話になり、そこから原発へ話題が及ぶと、彼の口調から明るさが消えた。実は故郷が原発から8キロのところで、実家はすでにないが友人や兄弟の家があり、彼らは現在避難生活中とのこと。運転手自身も、自分の故郷が無くなってしまったこと、おそらく一生帰れないであろうことを嘆いていた。

原発建設の際に、反対派と賛成派で町が割れて、金の魔力で一部の人々が変わってしまったこと。〇〇がちょっとここには書けないような(裏取りしてないので)やり口で反対派を懐柔、あるいは〇〇してきたこと。反対派が町の繁栄を否定する悪者のように中傷されてきたことなど・・・。わずか20分程度の乗車時間ではあったが、時間さえ許せばまだまだ話を訊きたかった。

そんな出来事から1週間あまり、木曜深夜のNHK教育テレビで入魂のドキュメント「ネットワークで作る放射能汚染地図」を見る。

とにかくこの番組が一人でも多くの人に見られていることを願うし、また見逃した人のためにNHKには今後も再放送してもらいたい。

放射線医学総合研究所勤務の木村真三氏は、チェルノブイリ事故や東海村臨界事故の調査を通じて、人体へ与える放射線の影響を研究してきた。その後厚労省の放射線研究所へ転勤。今回の福島第一原発の事故が発生するや、重要な初動段階でのサンプル調査が当然命じられると思っていたのに、いつまでたっても音沙汰なし。しかも厚労省は、木村氏に対し個人レベルでの調査研究、および研究データの公表をしないよう命令してきた。

これに憤った木村氏は、学者としての信念を貫くべくためらわずに辞表を提出。今回の状況が、政府発表ほど甘いレベルのものではないことを、チェルノブイリを見てきた経験から悟った彼は、辞職により研究室を失ったものの、個人の学者ネットワークを使って、精力的に避難地域へ出向いては無数の土壌をサンプリングし、大学に送っては分析を進めてきた。木村氏を突き動かしたのは、学者としての良心と、そして3歳の愛児の存在。

細かい分析の結果、さらに木村氏に同行したカメラによって、いくつもの隠ぺいが暴き出されていく。詳細はともかくとして、そもそもの事故の初期段階で、国が情報公開による住民の不安行動を恐れるあまり(と思いたいが)、正確な拡散状況や汚染の調査を行わなかったこと、また重い腰を挙げて調査をしてからも、正確なデータを公表しなかったことが最大のポイント。

木村氏が今回構築した、京都大学、長崎大学、東北大学などの研究者たちによる学者ネットワークは、政府が発表した同心円状の拡散状況と避難区域決定が、現地では何の意味も持っていないことを立証していく。実情はもっと複雑で、地形や爆発当日の天候により、斑状に局地的汚染が進んでいる地域が点在することを掴み、屋内退避レベルに留めていた赤宇木地域にも、とんでもない濃度の放射能が飛来していることを、独断で住民たちへ通達。住民は自分たちの判断で県外避難を決行する。これは政府がこの地域を避難区域に指定する12日も前の話だった。

また、ウォローボーイなどを生産した零細馬産農家、篠木牧場の苦渋に満ちた決断、餌が途絶えて全滅した養鶏農家の悲劇などを淡々と映し出して行く。

さらに、国が行ったサンプリングの調査結果公開について、高い放射線値を示した地域があることについてはHPで出しているものの、「風評被害を避けるため」との理由で、その地名を伏せるという不可解な表示をしている点を指摘。(該当していた地域を持つ浪江町の町長と木村氏のやり取りも見どころ)

とにかく隠ぺいに次ぐ隠ぺいが、対策の遅れを生んだことは否定し難い事実であることが明るみに出た。風評被害を都合よく使った、情報発信者側の作為も現実となった。(このブログでもかなり前に懸念したことがやはり現実にあったのだ)

さらに、子供の被曝限度基準20ミリシーベルト(年)についての地元公聴会の席上、文科省の役人が「学識レベルで検討して、ここまでは安全ということになっているので安心してください」と繰り返した直後のこと、横に居た原子力安全委員会のコメンテイターが「私どもとしては20ミリシーベルト(年)が安全と申し上げたことは一度もない」と発言。

文科省役人の唖然とする顔、その後苦虫をかみつぶしたような表情に変わった瞬間こそが、このドキュメントのハイライトだったと思う。

以前書いた小佐古氏辞任問題(子供の被曝基準へ異議を唱えて参事を辞めた)も、これを見れば、小沢と菅の対立の副産物という側面もありつつ、根っこのところでは、学者としての良心に耐え切れなくなったのかもしれないと思えてきた。

結論としては、かねてから考えてきた姿勢が間違いではないことが確認できたのが収穫。悲しい哉、こと原発、放射能については、国の出している情報は全てを信じることはできないわけで(国策の失敗だったわけだから都合の悪い数字を全て認めて出すことは今後もないだろう)、結局は自分の判断、情報収集力に全て掛かってくるのだ。

今回の震災は、国家に無条件に依存することと、国民が訣別しなければならない事が明らかになったという意味で,ターニングポイントと言えるのかもしれない。

しかし今日の与謝野の発言。頭に虫が湧いているんだろうなあ。

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