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2013年9月25日 (水)

9月15日~17日のこと

15日の日曜は、ラジオ日本のイベントのために11時到着を目指して中山へ。台風の影響で、総武線は何箇所か徐行運転にはなったが、止まるには至らず。聞けば武蔵野線は20分程度の遅れが出たそうだ。

中山についてしばらくすると、なんと青空が覗いて強い日差しが時折照りつけた。しかしこの時点では、まだ午後は大雨の予報。

昼休みのイベントはメディアホール。足許が悪い中、よくお集まり頂いた。ラジオ日本賞の展望と、ローズSの注目馬ひとこと。

楽屋で、襟がもぞもぞしたので何の気なしに手で払ったら、焼火箸を当てられたような痛みが走り(当てられたことはないが)、慌てて振りほどいたら指先から黒い物体が飛び立った。家に帰ってから図鑑を見たら、まぎれもなくクロスズメバチ。ただ、スズメバチとはいうものの、普通イメージされるスズメバチよりもかなり小さい上に、毒性も薄いようだ。普通は住宅地にはいないそうで、なぜメディアホールの、しかも控室に居たのかは疑問。

指先がしばらく痺れていたが、痛みはあまりなく、本番には影響なかったし、まもなく痺れも消えた。刺されたことが何かの吉兆になるかと思ったが、その考えが甘かったことは3時間後に思い知らされることになる。

12時半にイベントが終わると、馬券をまとめて買って、いそいで地下道を法典の駅まで歩く。大変な湿度と暑さで、駅のホームに着いた頃には汗だく。今度は東京競馬場へ向かう。都心へ近付くにつれ雲は増えたが、雨はとうとう日中は降らなかった。これなら明日は普通に開催も・・・・なんて思ったこともあったが、その考えが甘かったことは十時間後に思い知らされることになる。

10R前に東京競馬場へ到着。ラジオ日本賞は、まさか晴天の競馬になるとは思わず、タテ目で押さえた馬券でかろうじて的中。大雨のさなかのレースと決めつけて、メテオロロジストの逃げ切りに賭けたのだが。ただインカンテーション危険という見解のみが正解だった。

ローズSは、リラコサージュが良い感じで行っていたのだが直線失速。前半いい走りをしていたので、敗因は道悪ではなく、20数キロ増えていた馬体の方だろう。牝馬の場合、一概に馬体の成長=馬体重には結びつかないことがある。

ツイてないのは、デニムアンドルビーとウリウリの12着なら、予想TVで馬連を1000円買っていて、50倍が決まったと思ったらウリウリがハナ差3着になってしまったこと。デニムに本命を打たなかった自分が悪いのだが・・・。こちらもエバーブロッサム危ない説のみ的中。危険な人気馬しか当たらない。なおデニムアンドルビーは女王杯の方が走れそうで、秋華賞はどうか?

 実は急いで東京に戻ってきたのは訳があって、この日の最終後に、尊敬するある先輩ライターの本に載せる対談を収録することになっていたのだ。11月に発売。近づいたらお知らせします。

◆翌16日は東西共に中止。一時、阪神は開催の発表がHPに出て、そのあとに「朝7時に開催有無を決定」の告知が出た。そして実際には6時頃に両場中止の発表があったようだ。中山は暴風雨、阪神は輸送が無理だったとのこと。

 翌17日は夏のような暑さ。午後から東京競馬場へ。まさか良馬場まで回復するとは思わず。

セントライト記念は、本命ケイアイチョウサンがいかにも試し乗りのような感じで敗れてしまい、ここで権利を取らないと立ちゆかない2頭がワンツー。賞金持ちを本命にしたのがバカだった。しかしこのレース、時計の価値は低い凡戦なのだが、見直すとなかなか面白い。次の週の予想TVでも言ったけれど、この組から1頭は馬券になりそうな気がしている。

 この日は各所で勝負レースとして配信した阪神最終のサンレーンで救われた。チャラ。

◆ヨハネスブルグ産駒が2歳戦で大活躍。仕上がりの早さは誰でも予測できたことだが、ダートだけではなく、思いのほか芝も走れている。

ヨハネスブルグヨハネスブルグと頻繁に目にすると、思い出すのは40年近く前のことだ。BCLブームの頃、血眼になってダイヤルを探ったラジオRSA(ラジオ南アフリカ)。ジングルの後、ステーションコールの文末の「フロムヨハネスバーグ」が聞こえた時の喜びたるや。日本での受信の難しさでは難度Cクラスの高さだっただけに、確か23回しか成功しなかった記憶があるが、必死で英語で書いた受信報告で貰ったベリカードは、今も実家のどこかに眠っているはずだ。

あの直後、スカイセンサー5950やクーガ2200などのデジタルダイヤルが出てきて、指の感覚に頼らなくても局を「釣れる」ようになってしまい、急速にブームが衰退してしまった記憶がある。私の愛機ジーガム404はアナログダイヤルで、指先の微妙なチューニング技術が受信の成否を分けたものだった。日本短波放送のハロージーガムの作文コンテストで貰ったのが自慢の愛機。これはさすがにもう実家にもない。

BCL、74年から76年前半あたりまで熱中したなあ。でもおかげで英語にずいぶん慣れることができたし、世界の地勢も調べることができたし、無駄にはならなかった。

ちなみに今、YOU TUBEで、当時の代表的な放送局のジングルやステーションIDが聞けることを先日知って、ラジオRSAも40年ぶりに聞くことができた。HCJBもKGEIもラジオオーストラリアのワライカワセミも、時を超えて甦って来た。こういう話をして感慨に耽っているようでは本当に年を取ったものだ。ずいぶん話が逸れて失礼しました。

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