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2013年10月 2日 (水)

あまちゃん終了に思う

あまちゃんが終了してしまった。第1回からすべて見た。

「分かる人に分かればいい」という突き放した小ネタが、40代以上60代くらいまでの「あったあった共感スイッチ」をくすぐりまくってくれた。しかもそれが本筋から浮かずに入っていたことがスゴイ。

70年代から80年代前半までは、ラジオにしてもテレビにしても雑誌にしても、受け手側が1回触れただけではすぐには分からないという記事がほとんどだった。その分、受け手側にとっては、「楽しみたければ自分で調べる」という作業を要求され、送り手側から「ここまで背伸びしなさい」という形で情報は提示されていた。時間はかかったけれど、芋蔓式に知識を増やしていくことの醍醐味は何にも代え難いほどであり、また記憶への定着度合いも深かった。

それがいつからか、メディアが視聴者に降りて行くという姿勢に変わってしまい、視聴者の知る楽しみを奪ってしまった。(すべてとは言わないし、また80年代後半以降には、それなりの違う価値観も生まれてはいるので、否定しているわけではない、念のため。当時は「知っていること」の価値が高かったが、今は誰でもネットで情報や知識を入手できる時代になっていて、むしろ知識の使い方が問われている時代であり、背景そのものが違っている)

 あまちゃんは、主な脇の出演者や脚本、音楽担当者などの大半が、そうした時代の寵児だった人たちや、またそうした時代に影響を受けて創作活動を開始した人たちだった。それが、人気の要因の大きな1つだったことは間違いない。

 ドラマ本線にしても、伏線の張り方とその回収の仕方が見事だった。最終週は大団円へ向けて、穏やかにソフトランディングした感じがしたが、あれはあれで正解だ。宮藤官九郎は最終週があれで良かったのか、台本を挙げた直後はだいぶ悩んだようではあるが。

 それにしても、1つガッカリしたのは、平均視聴率が「梅ちゃん先生」を下回ったことだ。何かを持ち上げるために何かを貶すことは戒めるべきことなのだが、これについては書いておきたい。個人的には「梅ちゃん先生」というのはドラマとして最低レベルの作品だったと思っているからだ。ストーリーは陳腐、主題歌最低、何よりマズイのは、一応は医療従事者を描いたドラマでありながら、脳軟化症と脳卒中をごっちゃにしていたこと。高橋克美演じる、ヒロインの父親が脳軟化症と診断されて、このあとは大黒柱の崩壊と介護という重みのあるテーマが加わるのかと思っていたら、症状は脳卒中のそれで、脳軟化症はどこへやら、いつしかリハビリして手足の機能が回復しピンピンしていたというデタラメぶり。今でも、間違った台本がそのまま出てしまったのではないかと思っている。

 さらにヒロインが昭和30年頃に開いた病院の柱に「アレルギー症状をおもちの方はお申し出ください」と、目を疑うような張り紙がしてあったこと。時代考証も何もあったものではない。

 堀北真希と木村文乃の美貌を見ることだけに価値があるドラマだった。脚本は本当に酷かった。

 それはともかく。

 半沢直樹にしても、あまちゃんにしても、決して当初から前評判や局の期待が高かったわけではなかった。テレビが力をなくして久しいが、視聴率を取るために何を作ったらいいかという発想を捨てない限り、復権は厳しいだろう。数字を取るためにという考えを捨てることが、逆説的に数字に結びつくことに、いい加減気付いた方がいいと思う。面白いものを作れば、数字は後から付いてくるという当たり前のことを忘れているから、企画の真似と下品が横行してしまうのだ。

「ドクターG」「サラリーマンネオ」「タイムスクープハンター」「ファミリーヒストリー」など(期せずしてみなNHKだが)を見るにつけ、まだまだ企画はいくらでも掘り越せるはずだと思う。

追伸・半沢直樹といえば、境雅人は口角と目の細め方だけで芝居をしている(貶してもいないけど褒めているわけではない)。それよりも半沢直樹は(最終回を見ただけだが)、昔の大映ドラマへのオマージュだと気付いた。スチュワーデス物語あたりと似た味わいを感じた。

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