つらつらと思い出話
エピファネイア引退。クルミナル重度の屈腱炎。バッドニュースが続く。
◆高校野球の県大会高知県予選。今年も高知高校が明徳義塾に屈した、しかもまたしても1点差で(5年連続決勝で同校に1点差負け・・・だったはず)。さらに大逆転負けで・・・・。今年こそはと応援していたのだけど。
同じ学校同士で何年も決勝を争うことは珍しくないのだろうけど、すべて1点差というのは・・・なんとも。縁も所縁もない学校だけど、来年こそは!
◆TVBrosの表紙がセカイノオワリでビックリ。ここ何号か、何となく編集方針というか、雰囲気の変化を感じていたけれど、なんか俗っぽくなったようでややガッカリ。
◆某局の夏の歌謡祭、さも音楽の素晴らしさがどうこうとか謳っていながら、まあ事務所の綱引きで出場者と出番の時間帯を決めているだけのジャニーズ祭りというのが実態で、ホストクラブの盆踊りみたいなエグザイル関係とか、まあそういうのも少しはあっていいんだけど、そればかりというのは・・・・。昔だって、この手のものにはもちろんザ芸能界的な裏は見えてたけれど、出て来る歌手や歌自体はバリエーションに富んでいて、ショーとしては結構見られたもんだったんだけど。
その中で唯一「音楽」というかポップスという意味での気概を示したのが、田島貴男を登場させたこと。たまたまテレビを点けたら田島くん(敢えてくんづけしてしまうけど)が出てきて、懐かしさから思わず見入ってしまった。昔は関根勤に似ていたけど、今は藤岡弘か、濃い目の星野仙一といった感じの風貌。
昔からソウルっぽい感じが溢れていたけれど、中年になったらそれが前面に出てきて渋いことこの上なし。歌声もセンスも健在。20代からの反響も結構高かったようで、良いものは古い新しい関係なく良いということ。そもそも芸術は、科学とは違って時代を経たから良化、進化するとは限らない最たる分野だし。
田島くん(年齢は3つしか違わないけど、当時学生っぽくてみんながくん付けで呼んでいたから失礼を承知でそう書きます)、というかオリジナルラヴとは少し思い出がある。1988年のこと、当時私が仕事であがた森魚さんとご一緒した時に、あがたさんのマネージメントをしていた和田博巳さん(元はちみつぱい!知ってる人は震えてね。知らない人はググってね)から、「まだ自主制作なんだけど、面白いバンドで、少しマネージメントで関わっているんで良かったら取材してあげて」といって1枚のアナログレコードを貰った。それが、おそらくは当時まだ大学生だった田島くんが率いるオリジナルラヴのインディーズアナログ盤。聞いたらハマった。(その後メジャーデビューの時に、同じ収録曲が入ったアルバムが出たけれど、アレンジや演奏はインディーズ盤の方が尖ってて、垢抜けない分勢いがあって、カッコ良かった)
すぐにアポをとって、メンバー全員揃ってもらって下北沢で取材したのだけど、相手も初めてのラジオ取材だったとかで緊張していて、フロントマンの田島くんが大したことも言っていないのにすぐに照れ隠しからか笑ってしまいコメントが使えない。ならばこれはもう意味がないことを言って笑っても浮かないムードにしてしまおうと、場所を居酒屋に移して飲ましながらインタビューするという作戦に切り替えて成功。酔った田島くんのしゃべることしゃべること。居酒屋でインタビューしたのは、後にも先にもあの1回きりだった・・・。あの頃はのちにコレクターズに移る小里くんと、引退して河合塾で古文教師として知られる村山くんの3ピースが基本だった。
その後、メンバーチェンジを経て大ブレイクしていくのはご存じの通り。あれからもう30年近く経つのか・・・と遠い目。あの日のことは99%田島くんは覚えてないだろうけど。
◆他人が書いたことに後乗りしてきて、その書いたことを否定するようなコメントを書き散らす奴というのは実にみっともない。反対意見なら別に構わないんだけど、自分がもともとよく思わない人間に対し、嫌がらせのように当てこすりを書くセコい奴。この業界にもたまーにいますけどね。
(7月31日11時記)
| 固定リンク