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2017年4月 7日 (金)

がらくたネタを集めて

 大陸情勢が危険水域に入ってきたようだ。何はともあれ、競馬が楽しめない状況になることだけにはならないでほしい。それだけだ。

 

◆今年も阪神のチーム力低い。糸井がいなかったらと思うとぞっとする。昨日木曜のサヨナラホームランもラッキーパンチが当たっただけ。強いチームなら4-1のまま勝つ。ただ、ああいう試合をするからまた好きでもあるのだけど。

弱いチームを愚痴りながら応援するのも楽しみ。情けない時期を含めて応援するのが本当のファン。20年前くらいの暗黒時代をくぐっているのだから、それを思えばマシだ。

 

◆TBSラジオ「たまむすび」、赤江珠緒さんが産休で降板。私はピエール瀧が出ている木曜だけを聞いてきたが、あの良い意味での隙の多さはなかなか居ないキャラクターだった。テレビより遥かにラジオ向きの素材。メインキャスターながら、ゲストに弄られまくるというありそうでなかった愛すべきポジションだった。ラジオは本当に人となりが出るメディアである。

 

◆どうしても部屋にスペースを作らなくてはいけなくなり、この3日間で、90年から08年までの優駿を処分した(作っている方々には申し訳ないが、背に腹は代えられぬ)。もちろん、興味ある特集や好きなエッセイが載っている号は残しているけれど。

読み返しを始めてしまうと作業が進まないのは常だが、それにしても80年代、90年代は、競馬を語る言葉が芳醇だったなあ。来生えつこさんや、黒鉄ヒロシさん、山藤章二さんなどの観戦記、随想の品の良さ。当時は予想関係の記事と、こうした文化的な記事とのバランスがちょうど良かった。競馬から一般的な知識欲(競馬そのものへのはあるけれど)や言葉への感覚を刺激されることは、今は皆無だ。

優駿はまだ当時の匂いを留めているけれど、競馬マスコミ全体が予想記事一辺倒になって行ったのはいつ頃からだったか。

そう考えると、当時から今まで変わらずに書き続けている井崎さんや、古井由吉さんには畏敬の念しか湧いてこない。 

◆パン屋→和菓子屋の表記変更の教科書検定。文科省はどこを直せと指摘しないまま「要偏向」、じゃなかった「要変更」の指示を出し、文科省の意図を「忖度」した教科書会社が「勝手に」直したということ。そしたら検定を通った、と。文科省は、自分たちが直せと言ったわけじゃない、とかなり姑息な言い訳をしているが。検定とは何のために行っているのだろうか?監視?検閲? 

◆このブログでも何度かクソミソに貶してきた百田尚樹が、またぞろ笑わせてくれた。「日本国民には中国の思考は分からないし分かる必要もない。だから漢文の授業は廃止すべきだ」

もうイッちゃってるとしか思えない。じゃあこの人は、同じ理由で漢字(日本が略化した文字も多いが)も放棄するのだろうか。

確かに中国に限らず、外国人の思考はどこの国の人であれ分からないことは多い。日本人もそう思われていることだろう。ならば文化的な遺産に当たり、理解しようとするのが本来の学究の徒のあるべき姿である。結局百田は、教育は子供の、人間のためのものではなく、為政者にとって都合のよい人間を育てる手段としか考えていないからこうした発言が出る。

◆と書いていたら京唄子さんの訃報。私ら世代では、現千葉県知事が青春スターとして主演したドラマ「おれは男だ!」で、主人公役小林浩二(森田健作)が剣道部設立に反対しやり合った校長先生のイメージ。厳しいが情にもろい先生役だった。あとは「唄子啓助のおもろい夫婦」の司会。関東に住んでいると漫才は正月くらいしか見ていなかった。

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