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2018年6月12日 (火)

グッドバイ

 中学12年の頃は、クイーンにキッス、ベイシティローラーズ、ボストンにエアロスミスと、洋楽に興味が強く行っていたころで、周りもそんな雰囲気だった。日本の音楽については流行りものと、その頃台頭してきた荒井由実や中島みゆき、もちろん拓郎に陽水など、ニューミュージックの旗手たちをメインに聞いていた。森田童子という名も、音楽雑誌の隅で目にはしていたけれど、特に興味を持つこともなく、メジャー処を追うので手一杯だった。(後から思えば、アルバム「マザースカイ」を出したのがこの時期だった)

 

 それが一気に引き寄せられたのは、大学受験のための模擬試験で、毎月のように東京へ出るようになった1981年頃、冬のこと。御茶ノ水の駅を出ると、黒のコートにサングラス、白いシャツ?に黒のズボンを履いたカーリーヘアの女性のワンショット、背景も文字も白と黒だけで構成された、黒色テントでのライヴ告知のポスターがベタベタと貼られていた。雑踏の中で超然と佇むそのポスターは、出てくるたびに大都会の活気に心躍るものを感じていた田舎者のガキにとって、東京のダークサイドのように映った。だが森田童子のその写真には、プロレスの怪奇派レスラーの写真を見て抱くそれと同じような好奇心をそそられずにはおれなかった。

 

そしてほどなく、初めてリアルタイムで彼女の新譜を聞くことになる。アルバム「夜想曲」に針を落とした瞬間から最後まで、固まりっぱなしだった。「蒸留反応」「ぼくは十六角形」「孤立無援の唄」・・・。さらに大学受験の直前、NHKFMのニューサウンズスペシャルに出演するということを「週刊FM」で知り、聞きたいような聞きたくないような、まさに怖いもの聞きたさで番組を心待ちにしていたものだった。

 司会者との会話が思ったより普通に成立していたことには少し拍子抜けしたが(もっと不適応気味なのかと決めつけていた)、それでも軽率に言葉を発することは決してなく、熟考しつつ全く無駄のない返しをするその隙の無さは想像以上だった。

 

そこからは貸しレコード屋で(!)、遡ってアルバムを聞いていったが、当時最も好んでいたテクノ・ニューウェイヴ系や、ファンクロックと同列には置けず、少し距離を置いてのめり込まないスタンスを保つことにした。ハマるのを潜在的に回避したとも言えるが。だって「最期」「別れ」「死」が常に張り付いた作品が多く、アタマでは分かっていても覗きたくない世界を想起させられるから。


そして83年のアルバム「狼少年」を最後に森田童子は忽然と表舞台を去る。家庭をもって市井の人になったという記事を見て「ああ、ラジオでの印象通り、現実社会とうまく折り合えるタイプなのだな」と安心したものだった。

 

その後仕事も始めて忙しくなり、長い間森田童子の曲を聴くことはなかった。私は音楽業界にいたから一般の人よりは情報が入る立場にいたので、わずかなものだがその境遇を断片的に聞くことがあったのだけど。

が、突然ドラマの主題歌となり大ヒットという、信じられない事態が訪れる。「ぼくたちの失敗」は、森田作品の中ではかなり明るく、メロディーもアレンジも流麗で、ショッキングな歌詞もなく、一般受けする要素が揃っていたので、ああいう事態になったのだろう。聞けば野島伸司は黒テントライヴにもよく足を運んでいたらしい。

この93年の椿事にも森田童子は前線に復活することはなく、1曲自宅録音で、過去の作品からリテイクし改題したシングルを出しただけで、また沈黙に入った。

さらに25年が経過し今朝、PCを開いたら飛び込んできた訃報。この12年というもの、自分にとっての十代が、少しずつ崩落していくような思いに駆られる知らせが多くなってきた。何とも言えぬ寂莫とした感情。10数年前だったか、テレビ東京が放送した森田童子と黒色テントのドキュメンタリーの映像を見返して、今日の空模様と同様、重たい気分で1日を過ごしてしまった。なお「グッドバイ」はデビューアルバムのタイトルである。

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