雑感
今までにない感染の経緯をたどる新しい病気だから、トライアル&エラーになるのはある程度仕方ない面もある。ただ、科学において、検査をしない方がいい、サンプルを取らなくていいというのは、ありえないことである。
何度でも書くが、治療と予防と感染拡大防止はそれぞれ異なるアスペクトにある。検査拡大は感染拡大防止に直結し、それこそ社会や経済を守るために必要なこと。無症状者が感染させる能力が高いというこの特異な病気に対しては、薬やワクチンができるまでは、理想は全員検査だが、それは困難であろうから、少なくとも希望する人全員が即刻、保険適用の費用で安価に受けられるようにすべきである。これだけでも、だいぶ拡大を抑えることができる。
検査抑制論者にはそれぞれの思惑がある。以下は個人的な考えなので、別に賛同して頂く必要もないのだが、それほど外れてはいないと思う。
国においては、検査データを独占して、製薬会社への提供を一手にまとめて、莫大な利権を得たいということが第一。だから検査できる施設を広げたくはない。あくまで保健所経由にしたいわけだ。また肩書のある学者においては、厚労省への協力を前提にバックアップしてもらっている人たちが反対を叫んでいる。マスコミやタレント関係の大合唱は、社会が委縮することを恐れる経済最優先の団体がもともと握っているわけだから、そちらからの誘導。これらに運悪く、五輪利権も重なっていることが事態をややこしくしている。
国民からの反対論はまた違うところにある。不安の裏返しから、現実に目を背けたいという感情(知見を発信している人たちをコロナ脳などと揶揄する感情が代表例)、現状を保つことで安寧を得ようとする、ある意味当然の感情、そこから湧く現実を変えようと声高に叫ぶ人たちへの嫌悪感(大声や怒りに対する嫌悪感。これは日本人には昔からある、国民性にも似た感情だと思う)なども相まって、理屈を超えたところで為政側への賛同へ傾斜しているところもあり、かなり多重構造化しているように思える。
この複雑な状況を乗り越えるには、真実の追求が唯一無二の正解であるべき科学(医学)が、感染抑制と病気根絶というこれまた唯一無二の命題へ向かって、本来なら一致団結すべきなのだが、学者たちもまた一枚岩ではなくなっている。今の日本では哲学をしっかり持った医学者、研究者たちが、学問、知恵、思考を軽んじる勢力に屈することなく情報を発信し、それをキャッチした国民が為政者側を少しでも動かすしかないのだろう。しかしそんなことをしているうちにウイルスは拡大と変異を繰り返してしまうのかもしれないが。
少し趣旨はズレてしまうが、熱中症の死者やインフルエンザの死者数と比較して、恐れるに足らずとする論調が、ネトウヨだけでなくマスコミにも出てきているのだが、病気の重篤度の1つの目安になるにせよ、死者数や死亡率だけで語られることが果たして正しいのかという疑問もある。
なぜか日本ではあまり報じられていない後遺症の問題。正しいかは別にして、特に若い発症者の方に後遺症が残りやすいという知見も海外からは出ているようだ。現役大リーガーも心筋炎に苦しんでいるそうだし、ツイッター上でも一般の若い患者から、重症でなかったのにもかかわらず、いかにこの病気が退院後長引くかを警告している例もある。命に別条がなくても、以前の自分の体に戻らない可能性を考えたら、熱中症やインフルと比べて云々とは言えないのではないか。
さらに、インフルエンザにはタミフルや、イナビル、リレンザのように、服用で明らかに改善する薬はあるし、外れることも多いとはいえワクチンも一応ある。そもそも、新型コロナによるマスクと手洗いで副産物的に今冬はインフル患者数を激減させることができたわけだが、これだけマスク手洗いを大多数の国民が励行していても、新型コロナの感染拡大が現状止まっていないのだから、インフルとは比べ物にならないほどの感染力も持っていることは明らかで、かつインフルのような季節性もない。
熱中症は確かに恐ろしいが、個人の心がけ1つでならないものであり、しかも手遅れにならなければ大半は簡単な治療により短時間で全快する。入院の必要が出るケースもわずかだ。さらに酷暑のシーズンが過ぎれば、ほぼ消えてしまう。
近年は社会復帰が容易になっているガンは、ウイルス由来のごくごく一部のものを除けば基本的に伝染はしない。
つまり従来の治療法が確定している病気と比べることに意味はない。新しいウイルスなのだから当然のことだ。そこは国民というか、人類が腹を括るべきことであり、日本人はこの点が甘い気がしてならないのである。
腹を括るというのは、必要以上に恐れるということではない。現実を知り、現実を改善するにはそれぞれの立場で何をするのが一番なのかを考えるということ。予防、治療、拡大防止の3本の柱において、今最も求められるのが、春先とは違い経済の危機を緩和するための拡大防止となっているのなら、それに合った策を取るべきというのは自明の理だ。検査しなければ感染者も分からない、そして分からなければ感染は拡大していく。自然免疫も獲得できないということがわかってきつつある状況では、ロックアウトをせずに乗り切るなら、ワクチンや薬ができるまでは、少しでも感染者を減らす手立てを取るしかないのではないだろうか。そのために検査へのハードルを下げるというのはごく当然のこと。
検査しても感染はゼロにはならないのはタイムラグがある以上当たり前のことで、それを言ったらそもそもすべての病気に検査は無意味となってしまう。ゼロを求めるのではなく、経済活動を保つうえでも「真の」感染者数を減らすことが大事なのだということは、もっと徹底して叫ばれるべきではないだろうか。
| 固定リンク