本文へジャンプします。




« 今年最後の更新です | トップページ | 年末年始 »

2021年1月 1日 (金)

年頭にあたって

 まずは謹賀新年でございます。
 毎年、年頭のブログは、改まって抽象的な所感を書くことにしているので、そんなメンドクサイものは読みたくない方は次回に改めてお目に掛かりましょう。飛ばしてください。今回は当然、コロナ禍に関することになる。

 

 

 さて物心ついてから、これほどまでに無感覚というか、心中に湧くところのない新年を迎えたのは初めてだ。今年2021年も、自力ではどうにもならない部分で、先を見通せないもどかしさが続くことになる。
 本来なら、未知の物事に対処する上で最も頼りになるのは、知見や知性であるはずだが、それらがまさかの反抗を受けたのが2020年だったと思う。もちろん、それはすべてが悪意による攻撃というわけではなく、未曽有の事態への恐怖やストレスを耐える上で、事態を少しでも軽い方に受け止めようという人間心理の働きもあるし、また警告を発する側を、日常への回帰を阻む存在として敵視するという思考回路もあり、それはそれで情動面の表われとして理解できないこともない。
 問題は、知見や知性の探求を司る「学者、研究者、医師」という立場の人たちの中に、少なからず真理の追求と現実の把握に対立&逆行する者どもがいたということ。彼らの権威ある肩書きが、却って事態を悪化させ間違いを信じる人々を助長した。ある意味、悪い政治家よりたちが悪い。いくら肩書きがあろうと、結局は人としての強さ、権力におもねらない高潔さが何より大事であると露呈した形だ。

 さらに、今回のコロナ禍を矮小化しようとする勢力は、差別主義に加担しているグループと被っていることが多いのも特徴。万物における揺るぎない真理の1つに多様性があるが、これを許容できない人たちの存在の多さ。
多様なものが存在するには、自分と異なるものを認める環境があるということが前提となるが、それは単に違うものを全て認めることとはイコールではない。明らかな間違いは否定され淘汰されるべきで、それにより健全に多様体が生き残れることになる。そのためには何が間違いで何が正しいかを見極める尺度が必要となるわけで、その尺度として世界共通の真理がある。その真理を知り、守るために学問や法が存在する。この仕組みが蔑ろにされたのは多分戦時以来だと思うが、去年はそういう1年だったのではないだろうか。

コロナそのものから身を守るのはもちろんだが、こうした思考面の「ウイルス的存在」からの侵略にも対抗しなければならない。正しい情報を選別して自分の糧とするだけの力を蓄え、感染拡大に耐える生活が続くことになるが、その姿勢はきっとコロナ禍が終息した後でも役立つはずだ。

|