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2021年7月22日 (木)

雑記

◆バス停。70歳くらいの女性の片方。「暑いし、もうワクチン2回目打ってるからマスク外してきたわ」とのこと。まあ暑いのは仕方ないと思うが、感染とワクチンについては、間違って理解している人の実例を間近で初めて見た。
 
  確実なことだけ書くと、ワクチン1回接種だけではほぼ役に立たないこと、ワクチン2回接種からおよそ10日後あたりで、はじめて免疫抗体ができること。その免疫の持続期間は諸説あり。変異株に対する有効性は、従来型よりは残念ながら低いと推測されること。
 そしてインフルなどのワクチンと同じく、感染しにくくなる効果もあるが、あくまでも重症化を防ぐのが最大の目的であり、ワクチンを打っても感染してしまうことは当然ある。だからワクチンを打っても、特効薬ができるまではマスク生活がおそらく数年は続くという覚悟が必要なのだ。
  何より、コロナ禍当初から言われているように、無症状の感染者でも伝染させる能力を有しているのが最大のポイント。さらに変異株はむしろ若年層への感染力を強めている。

◆小山田氏問題は少し複雑な構造で、感情論だけでは片づけるのは難しい。最も間抜けなのは選んだ方であることは間違いないのだが、コメンテイター面して改めて首を突っ込むのは自分でもげんなりする。しかし本人に何度か取材したことがあるという立場でもあるし(あまり以下に関係ないが)、また自分の仕事としては書くことで整理できる面もあるので、少しお付き合い願いたい。
 小山田氏にはフリッパーズギターとして確か3回、そして解散後のソロデビュー直前の94年の初頭、計4回会っていることになるか。だから例の事件が世に出る前なのだが、もし94年初めの時点でそれが出ていたら、果たして取材対象としたかどうか、それはハッキリ言って今の自分では分からない。当時の私はまだ人の下で仕事をしており、上が決めたのなら動くしかないという立場でもあったし、もし上が取り上げると判断したら、それに従ったのだろう。

 思い起こすに彼が特にエキセントリックなというか、奇抜・危険さの漂う人間だったという印象はない。というか、意外とロック・ポップス系のミュージシャンにそうした強烈な印象を感じた人はおらず、むしろ女性アイドルやフォーク系の方にいたような(苦笑)。

 それはともかくとして、今回の騒動の前提をまず押さえたい。それは凄惨ないじめ(もし全てが真実ならばいじめという表現の域を超えているが)と、その記事を出したメディアの倫理観とは別に見る必要があるということ。

 いじめについてはもう論ずる必要はない悪事であり、擁護の余地はない。今回は、小山田氏を擁護することで、彼の音楽を好んでいた自分を擁護する側面もあるので、少しこじれている発言が多いのだが・・・・。また叩きすぎの風潮を逆張り批判している著名人の発言には、全く興味がない。
  少し極端な言い方をすれば、こういう問題は、過去に自分が、あるいは自分の家族がいじめを受けたことがあるという人以外、つまりいじめと無縁で生きてきた人にとっては「他人事」であり、その痛みは想像で感じるしかないのだ。
 とはいえ他人事というだけで済ますのもまた間違いであり、もし自分に未成年の子供がいるなら、いじめがいかに卑劣な行為で人に一生消えない傷をつけるのかを教え、いじめを目にした時の行動を考えさせ、そして自分がいじめられた時の戦い方を授けることが大事なのではなかろうか。また自身が青少年なら、自分に引き寄せて考えることは容易だろう。いじめ云々の世代を卒業した社会人ならハラスメントについて考えるべき(もっともハラスメントは自分がしているという自覚が無い人が大半だが)。

 次はメディアの倫理観について。音楽誌RОJの方は、ロッキングオンジャパンに単に「ミュージシャンの本当の本音、よそでは絶対喋らないことを、懐に入り込んで引き出せる俺たちスゲエだろ」という他誌に対する歪んだ優越感があり、それを倫理の上に置いたことからおきた失態。それ以上でも以下でもないように私は思う(よそでは喋らないことを引き出す行為自体には正当性があるが)。

 もう片方のクイックジャパン。メインカルチャーに対するサブカルチャーからさらに零れたというか、そこにも値しない露悪的なものを取り上げる雑誌や、メインストリームができないことをやっている俺たちというところにアイデンティティを見出していた一派が確かに存在していた。クイックジャパンという雑誌は必ずしもそれが全てではなかったが、一部にそうした記事も存在していて、タブーを超えたネタを扱うことにある種のプライドというか自負があって、そこがマヒしていたということだろう。ラーメンズの小林氏のネタについてもこの流れで説明ができる。そもそもラーメンズはQJのお気に入りだったし。
 で、この2誌が犯した逸脱には、時代性の影響が皆無とは言わないが、あまり関係はない。あくまで担当者の当時の個々の考え方であり、それは時代というより編集者的パーソナリティの問題。なんでも時代の空気で片づける風潮には抗いたい。

 この手の騒動が起きると、必ず出てくるのが問題を起こした人の家族含め、一緒に仕事をしていた(いる)人たちなど周辺へも火の手を拡大していく輩。さらに「当時小山田氏をチヤホヤした人たちが黙っているのは恥ずかしくないのか」的なことを書いている評論家やライターもいる。彼らへ思うのは、行き過ぎた正義感を振りかざす愚かさを自覚してほしいのひとこと。
そしてまたぞろ噴出している「罪と作品」の関係については、それぞれいろいろな考え方があるだろう。これについてはあくまで個々の問題であり、正しいとか間違いはない。一般論で逃げるのは卑怯な気がするので私個人の意見を書けば、先述の言葉を使うなら「他人事」である自分にとって、かつて犯罪に手を染めたミュージシャンたちのケースと同じく、作品と人物は別という考えは変わらない。長々と駄文失礼。

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