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2021年10月 6日 (水)

10月2日・土曜の競馬

 10月2日の土曜、早くも秋の中山最終日。心配された台風は予報通り急ぎ足で去り、雨の影響もあくまで競馬レベルでは心配されたほどではなかった。また開催当日に、過ぎた台風が引き込んでくる強風も危惧していたが、これもほとんど感じなかった。ただ、空気こそ柔らか目ではあるが、日差しがギラついており、暑さは夏のレベル。
 
通過に伴う急激な気圧や気温の変化が原因ということももしかしてあったのかもしれないが、この日の中山競馬では異変が続いた。1番人気馬が負け続けて7Rにやっと勝ったものの、その後は最終までまた負け続けた。しかも人気薄が勝ち切り波乱の連続。
さらに、ゲート内で馬が暴れたことで、枠入りやり直しになる事象が1日に4回も起きたのだ。
 これにより、ラジオ日本で私が担当している時間帯に少しハラハラする事態が発生。10R前もゲートやり直しとなったので、時間がかかるとみてCMに移ったのだけど、思いのほか仕切り直しのゲート再開が早く始まってしまい、ゲートオープンがCM終了に間に合わないかもしれないという恐れが出てきたのだ。「何かもう1頭枠入りをゴネてくれ」などと半分冗談、半分本気で皆が願う中、少し手間取った馬が望み通り現れて、CM明け20秒後くらいにスタートと相成った。なお堀江アナが4回のうち3回の実況担当だったという巡り合わせ。

 時間は前後するが、私が到着して間もなく見た中山5Rの新馬戦ではやや呆れた。いくら新馬戦でも、マイルで37秒6-63秒3、勝ち時計が1分38秒1!調教より遅いのではないかと思えるほどで、競走とは呼べないレベルだった。ほぼ終始通過順のまま回ってきただけ。こんなことなら、テンを出していくことが求められる中山のマイルでデビューさせるなよという感じ。あるいは、馬が幼くて出して行けないというのならば、もっと稽古を積んでからのデビューにすれば・・・とも思う。

 ラジオ担当は10Rから、穴馬配信していたサトノファビュラスが勝ったのはいいが、2着コスモアンジュには手が出ず。本命メインターゲットが内から抜けだそうとしていたものの、スペースがなくて抜けきることが出来ず僅差の4着。せめて3着ならワイド、2着なら馬連だったが・・・。

 メインの11R秋風Sは、競馬ラボでお宝馬としていたオパールシャルムが逃げ粘って3着同着に健闘、メルマガで週半から名前を挙げていた▲アールクインダムが2着だったが、勝ったレッドフラヴィアを迂闊ながら無視していたし、何よりも◎フォワードアゲンが後方のままの競馬で不発に終わる。

 そして12Rは、◎カンタベリーマッハが押し切ろうとしたが、無印にしたフォレブルートに競り負けて2着。そいて3着には放送で「押さえるべき」とコメントした、単勝100倍近い△スズカユースが3着に追い込んできたのだが・・・。

 帰途に新聞記事で笹倉武久・元騎手、元調教師が逝去されたのを知る。笹倉さんと言えば、自分には騎手として、ダービーで大魚を逸した遠い日のシーンが思い出される。1974年、インターグッド、確か全く人気が無かったはず。直線抜け出して、これは勝ったというところから、早世した中島啓之騎手のコーネルランサーが差し返すように伸びてハナ差、長い長い写真判定の末に負けたこと。
確か、インターが大きな馬、コーネルがかなり小さい馬で、ゴール板では完全にコーネルが陰に隠れてしまっていて、インターが1頭でゴールしたように見えたことが話題になっていた記憶がある。
中島騎手はこの逆転劇で父子2代のダービージョッキーに輝く。そして笹倉騎手の名は一部の競馬者の脳には刻まれたが、競馬の歴史上の表面には残ることはなかった。故人には失礼かもしれないが、自分はそうした存在として、いつまでも覚えている。と同時に、脳裏にはこの笹倉さんとか、ハーバーローヤルの藤本勝彦さんとか、ランドプリンスの川端義雄さんとか、ダービージョッキーの栄誉を寸前で掴み損ねた騎手たちがフラッシュバックしてきた。彼らの声を、ダービー直後ではなく引退する時に聴いてみたかった。 

 

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