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2022年3月 4日 (金)

言葉の負の効用について

※一部にこのあとグロテスクと感じられる描写が出てくるのでお気を付けください。

◆コロナワクチンの3度目の接種は、今月末の28日午前中となった。金曜or土曜の接種ならもっと早く取れたのだけど、自分の仕事は週末にダウンするわけにはいかない。
私は過去2回と同じく3度目もファイザー。といっても別にファイザーを信頼しているわけでもない。そもそも、m-RNAワクチン自体の不透明さを呑み込んだ上で打たざるを得ないわけで、そこはもう祈るのみ(苦笑)。疎いなりにこのワクチンの仕組みを、高校生物Ⅱ履修レベルの知識で理解した限りでも、まあぼんやりとそのリスクは分かる。ひとくちに同じワクチンといっても、我々が慣れ親しんできたワクチンとは全く仕組みが異なる。これを急速に実用化に移した時点で、何らかの歪みが出るのは避けられないのだ。
呑み込むとは言ったものの、たとえば今年の年末に4回目を…となった場合は、さすがにためらうだろうな。従来の仕組みでの新ワクチンが開発されればいいのだけど。

◆日本は平和なもので、新庄新監督が報道陣にした呼びかけがニュースになっている。「最後にひとことお願いします、をやめよう」と言ったそうだが、かなり前にも書いたけれど、訊く側の紋切り型はある程度仕方ない部分もあるし、一方では改めた方が良い部分もある。
この「最後にメッセージ」「最後にひとこと」はまだいいけれど、私が昔からとても聞いててイヤな感じがしていたのは、映画や新曲についての取材などで出てくる「この作品の見どころを」「ニューアルバムの聴きどころを」と演者や作者に尋ねているコメント。手抜き質問の最たるものだと思っている。しかも、このコメントを公開前、発売前に言わせる意味はどこにあるのか?そもそも見どころとか聞きどころという言葉は存在するのか?ここまで来ると私もいちゃもんになっているが(苦笑)。でもそれくらい不快なんですよ、このフレーズが。

◆世界は今戦時下といえる。ウクライナを筆頭に、それ以外の地域にも前から小さな火種はブスブスと煙を挙げている始末。
私の世代(50代後半)はギリギリ、親から戦争中の話を大なり小なり聞いていると思う。私の場合は父親からは予科練の話、終戦時に11歳だった母親からは空襲のたびに防空壕へ逃げ込んだ話、近所に爆弾が落ちた話、軍事教練の話。一番インパクトがあったのは、米軍機が墜落した時に、大人たちが女性や子供に竹槍を持って集まれと号令をかけ、墜落現場へ行ったところ、黒焦げの米兵が転がっていて、隣組?の大人たちは万歳をして喜び、子供にもそれをやらせたというエピソード。狂気としかいいようがない。戦争は加害側被害側、双方が集団催眠に掛かっているのである。ちなみに母は、焼死体を見た恐怖で11歳ながらその夜おねしょをしてしまったそうだが。
よく言われることだが、直接体験した世代が不在になると、戦争への概念は日本の場合どう変わっていくのだろうか。

◆集団催眠をかける上で効果的なのは、話し言葉・・・というか、演説や討論などで発せられる、抑揚をつけて大きな声で言い切られる言葉。音やリズムが持つ、精神を高揚させる力の悪用であり、読み言葉と違って一斉に、かつ感情に訴えて伝わるので始末が悪い。あるいは習慣的、日常的に言葉を浴びせるのも洗脳には効果がある。やたらメディア露出して、マッチョイズム溢れる物言いをしまくる某政党の政治家や知事たちの・・・(以下略)。

◆こんなことを書いていて、一気に卑近な事例に戻るのだけど、先日帰省して駅の喫茶店に入った際に、ケバイ格好をした老婆が独演会?状態になっているところに遭遇した。取り巻きみたいな、やたらと相槌を打つ同年代の2名に対し、自分がいかに金持ちの家に育ち、世間を知らず、本来なら女優になろうと思ったのを断念して、遊びも知らぬまま親の言いなりで嫁入りしたという話を3回くらい繰り返していた(笑)。時代考証めちゃくちゃなのが「代官屋敷」で育ったというくだり。やたら御代官様という言葉が出てくるのだけど、いったいあなたは何歳なのかと(苦笑)。これがまさに歌うような、淀みのない名調子のような話し方で繰り出されるので、ついつい聞き入ってしまうのだ。もちろん認知症のある種の症状なのだろうけれど、これを取り巻きがまた信じ込んでいるようなのが興味深かった。これも先に書いた、話し言葉の洗脳作用か?
たぶん、この老婆の中では、時代劇か何かで見た姫の姿を自分の少女時代にダブらせて、空想が現実化してしまっているのだろう。面白いとは思いつつも、もちろん哀しさもその後で漂ってきたわけで、店を出る頃には複雑な感情に。その時もまだ老婆の名調子は背後で続いていた。

 

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