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2022年9月28日 (水)

無題(区切りとして)

 このところずっと漸減していた感染者数が、急に増加に転じてきた。これが従来株なら、やはりシルバーウィークの移動に伴う感染拡大と考えるのが自然だろう。ならばまた少しして減少していくとは思うのだけど、オミクロンのさらなる変異が出たのだとすると、第8波へのイントロダクションという悪いシナリオも頭をよぎる。スペイン風邪の終息まで波を繰り返しつつ3年掛かったそうだが、当時より移動スケールも密度も高いことはマイナス点。反対に良い意味で違うのは研究の進歩により、いろいろ経験値や記録、データも蓄積し、武器も増えていること。その武器が、開発国や先進国が経済的な優位に立つための、違う意味での武器にならないように、広く速く役立てられることを願ってやまない。

 さて、そろそろ一度まとめておきたいとは思っていたこと。それをブログに書くのが適切か、noteの方にしようかとは考えたが・・・。ブログで敢えて告知しないで、たまたま行き当たった方の目に触れればいいということにした。無理に読んでくださいと宣伝するようなことでもないし。やはり一連の、安倍氏殺害に端を発して一気に露見した、統一教会(ここでは教会の文字を使う)と日本の政治の問題だ。

 順番は前後するが、時期的に国葬問題。弔意と国葬反対は別物であるということがどうも埋もれているというか、誤った認識を撒いていると思えてならない。弔意は誰がどう持っても自由であるが、個人的には国葬そのものがどうこうというより、「国葬を決めた手続き」が完全に法を超えていて、内閣のしたいこと、都合のいいことを閣議だけで勝手にやっていいという悪しき前例を作ったことの方がヤバいし恐ろしい。これが、一応国会を開いた結果の決定ならまだ分かるのだが。
国葬にふさわしいかどうかもさることながら、個人的にはこの方が遥かに重大。その意味では、一部のヒステリックな反対運動は本質を見誤っている部分もあるように思う。

 本題はそれよりも、私が特に小泉内閣以降徐々に、そして安倍政権以降は一層クレシェンドで感じていた「嘘と隠蔽、開き直りの横行」の方。これは政治家の道徳観や拝金主義、政党の質なのかと思っていたのだが、実はその多くが統一教会という洗脳・集金・集票組織との連携の産物であることが明るみに出たことで全て腑に落ちた。これであったか強引な子供だましの正体は、と。

 その「教義」自体は前にも書いたように、我々の世代は大学でさんざん注意喚起されてきたこと。そして岸信介を筆頭に、政治とのつながりも知ってはいた。それが、まさか今の時代になってもここまで入り込んでいることはさすがに気付かなかった。
 団体が洗脳をする=信者を増やす上で邪魔なのが、真理を追究する「学問」や「疑問を持つ探求心」。都合のいいのは、性別や国籍による格差をつけて上下構造をつくること。となれば教育を蔑ろにする多くの政策を掲げ、女性の地位を貶めたり、生活弱者を切り捨てたりする政策が続出したのはある意味分かる。そしてこうしたことに論理的に、筋道立てて反対の声を挙げると、いきなり極左とかアカとかレッテルを貼る態度、全て懐かしの?勝共連合が根にあったかと思えば、あの時代を知る者としてはすんなり腑に落ちる。現実や事実に立脚した発言や異議に対抗するために、知識階級や上流階級にいる信者、あるいは金で手なづけた御用学者たちで対抗する手口。

 政治家という地位を確保する=票と資金のために、組織の権益を守り権威付けしてあげることをバーターとしたわけだ。安倍氏だけでなく、多くの政治家と政商たちがその構造に寄与し、日本の経済力や研究力、教育を後退させてきた。どこへ消えたか分からない多額の税金や経費。追いやられた人材。生活に全く反映されなかった好景気とやらの正体も見えてきた。

 私は一庶民なので、自分が平安に暮らしていけることは、庶民の暮らしが楽になることとイコールだと思うのだが、そうはなっていないということは、従来のいろいろな施策が間違っていることになる。その最大の障壁をここで取り除かないと、日本は本当に酷いことになっていくという危機感を持つのが普通だと思うのだけど。

 また近年可視化されたのが分断だ。昔から左とか右とかの薄っぺらい二元論は世界中にあったけれど、昨今はコロナ禍や戦争による人心の疲弊と貧富拡大の中で、少しでも自分が「ふわっとした勝者感」に浸りたいために、手っ取り早く権力側につくことでそれを満たそうという感情も広がって、知らず知らずのうちに騙している方を好意的に見てしまうこと。まさにこれこそ思う壺である。二言目には非国民とか反日とか言い出している輩の声などは、まさに戦時中の日本で聞かれたそれである。当時生きてたわけではないけど。

 前にも書いたけれど、さらに始末が悪いのは、自分とその周囲の幸せを考えるよりも、特定の集団や個人に帰属すること、貢献することを目的としそれが満足だと考える人たち。これはオウムを思い出せば分かるように、学歴や職業関係ないし、もちろん日本人だけのことではない。ただそうした考えが先鋭化していくとどういうことになったか、オウムもそうだし人類の歴史を顧みれば数々の失敗事例に明らかである。そうした物言いや存在に対し常にセンサーを働かせ、時には反抗すること。迂闊に耳障りのいい権力側の物言いに乗らないこと。幸せに生きる権利を主張する人を蔑む声を否定すること。また新しい政党の一部がふりまく露骨な陰謀論を無視すること。騙されないこと。学力云々ではなく、それができるくらいの「知性」は持ち合わせておくように、自戒しつつ心がけるしかないと思うのだ。

 

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