雑記
◆5類引き下げやマスク解除で騒がしいが、コロナ云々離れても、マスクをしているおかげでとにかく風邪はひかなくなったし、乾燥による唇のひび割れや鼻粘膜からの出血もない。そして何より、ここ数日は防寒機能の高さも痛感している。ヒステリックに外させようとしている勢力の意図が不気味だが、必要ないシチュエーション以外では当分の間、唯一の感染自衛策として個人的には重宝するはずだ。
◆前から話題の無い時にいつか書こうと思っていたことを。
ここ数年氾濫している「させていただく」問題。けっこう時間が経っても全く耳に馴染まないのは、その謙譲ぶりには安易に安全圏に身を置きにいって、それを良しとしているかのような感が拭えないからか。あるいは、必要以上に自分を小さく見せることを美徳とする(したい)気持ちが表出しているからだろうか。
個人的には過剰な防御反応、つまりこう見られたら(受け取られたら)イヤだということが先に立った、過ぎた婉曲さが生理的にダメだ。もちろん謙譲すべき場面はあって、その場合はそうすべきだけど、イメージが大事な芸能人やスポーツ選手筆頭に、テレビでのインタビューでこの言い回しを使いまくったことが、全国的に浸透してしまった原因だと思われる。
非科学的な領分ではあるが感性というものはとても重要で、この言い回しに違和をおぼえない感性はどうかとまで思ってしまう。まあ尊大さを隠したい、周囲に同調してしまえば安心・・・という考え方は、分からないではないのだが。
◆させて頂く問題は、使う方の心理さが反映したものだが、それとは別の局面の言葉を巡る話をさらに。
言葉は生き物だから、新たな用法が生まれたり、誤用がいつしか正当なものとして定着したりするさまは、なかなか興味深い。私が最近耳にする言葉の中で気になっていたのは「よりかは」というもの。調べてみたら「より」を「よりか」とする使い方はもともと方言で、江戸時代末期からあったという記録も目にした。ただ、その場合「は」が付かずに「~よりか、大きい」のように「よりか」として使っていたようだ。「は」が付き出したのがいつ頃からなのか定かではないが、私が若い頃にはほとんど聞いた記憶がないので、それほど昔ではないのだろう。
また「永遠と」という言葉も、特に若い人たちからよく聞かれる。これはおそらく「延々と」という言葉を知らない人が、聞き間違いをしたことで広がったのだろう。永遠なら文法的には普通なら「に」が付くべきだ。また、そんなことは分かった上で、近い意味で似た音の言葉を新語として使い出した層があったのかもしれない。
ただ、形容動詞の定義を厳密に見れば、「永遠と」という言葉自体が成立すると考えるのも無理筋ではない。無知から始まった(仮定だが)というあたりにいささか引っ掛かりはあるにせよ、即刻断罪するものでもないかなという思いも、また一方にある。
そもそも、よく引かれる例だが「全然」の後には、明治期までは肯定形も否定形も使われたのだが、それがいつしか後に肯定を続けるのは誤用となっていったという事実もある。また国語とは違うけれど「トライ&エラー」も、本当は「トライアル&エラー」とすべきであり、挑戦する意のトライではない(縁語ではあるが)。私もこの誤用を他人から指摘されたことがあるのだけど、これも無知から来た間違いだ。
ここまで書いてきて、自分でもどう結論付けたものか分からなくなった駄文だが、国語的に正しくても「させていただく」のような、使い手が意図的に濫用しているケースは認めがたくても、国語的に怪しくても、言葉が生き物としての変遷を見せているような事例は面白いなあ、ということだ。
◆今週ですが、競馬予想TVは私はお休み。2月は4,11日の2回に出ます。フェブラリーSは出ません。
◆ラジオ日本「土曜競馬実況中継」、冬の東京開催では午後後半担当で、14時半から最終までの解説をします。(解説させていただきます・笑)
◆YouTubeチャンネルは、しばらくは不定期に、小林弘明さんとの対談の続きが更新されていきます。なお予想動画は出走馬が豪華になりそうな京都記念週に出す予定です。(出させていただく予定です・笑笑・・・やっぱり)気持ち悪いですね)
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